
視覚に障害を持つ人々の中には、一般的な文字を読むことが難しい人がいます。
そこで「点字」という、視覚に障害を持つ人でも色々な情報を取得し、読むことができる文字が作られました。
その点字は、現在でも視覚障害者にとって重要な触読文字として、世界中で様々な方式が採用されています。
日本では、フランスのルイ・ブライユが考案した点字をもとに、石川倉次が確立した日本独自の6点式点字が標準となっています。
今回は、石川倉次の日本式の6点式点字を確立した功績について注目しました。
世界の点字の歴史と点字を作った人たち及び、日本の点字の歴史や石川倉次が6点式点字を選んだ理由などについてわかりやすく解説します。
***目次***
点字を作ったのは誰?世界の点字の歴史と普及の関係は?

世界で初めて点字が考案されたのは、19世紀のフランスでした。
(点字を作ったのは誰?)
点字を考案したのは、ルイ・ブライユ(1809–1852)です。
フランスの視覚障害者である彼は、若くから盲学校へ通いながら、視覚障害者のための新しい文字体系の開発に取り組みました。
そして色々検討を積み重ね、ついに「6点式点字」を考案しました。
ただし、その6点式点字が完成するまでには、その基礎となる暗号や12点式点字などの歴史があります。
(世界の点字の歴史)
・1670年
・・・イタリアのカトリック司祭で、発明家でもあるフランチェスコ・ラナ・デ・テルツィが、点と線を組み合わせることによって、アルファベットを表す記号を考案しました。
点字の原型とも言える暗号文字で、秘密を隠すこともできるし、厚紙に浮き彫りされているので、指でなぞって読むこともできました。
この文字は、一般に広がることはありませんでしたが、点字のヒントにはなりました。
・1819年
・・・フランス軍人のシャルル・バルビエ・ド・ラ・セールが「夜間文字(ソノグラフィー)」を発明しました。
これは、兵士が暗闇でコミュニケーションを取るための、12点式の解読文字でした。
ただし、複雑すぎて読み取るのに時間がかかるなどの欠点があり、一般的には普及しませんでした。
短い暗号としては使えても、長文などでは使い勝手が悪かったようです。
・1825年
・・・フランス人のルイ・ブライユは、幼い時に事故で失明しましたが、王立盲学校に入学したときに、12点式点字に出会いました。
しかし、ブライユも当時使われていた、12点式点字の欠点を見抜き、もっと使いやすい点字でなければならないと考えました。
そして、12点式ではなく、よりシンプルな6点式点字を考案しました。
・1854年
・・・ブライユが考案した6点式点字は、長い年月がかかりましたが、フランスで正式に採用されました。
その後19世紀末までに、ヨーロッパ各国やアメリカにも広がりをみせました。
現在では、この6点式点字を基礎として、各国の言語に適応させて使われています。
(点字の普及と現代)
・国際的な統一
・・・20世紀後半、世界の点字の統一が進み、統一英語点字が開発され、移行作業が進んでいます。
(デジタル技術の進化)
現代では、点字ディスプレイや点字プリンターが発展し、電子機器との連携も進んでいます。
日本の点字の歴史は?ブライユの点字と石川倉次の関係は?

(日本の点字の歴史)
日本に点字が導入されたのは、明治時代のことです。
それまで、日本では視覚障害者向けの統一された文字体系は、ありませんでした。
でも、視覚障害者でも蝕読可能な文字の必要性は検討されており、試行錯誤が続けられていました。
・初期の試み(19世紀後半)
・・・明治初期、日本に西洋の教育制度が導入される中で、視覚障害者のための教育も模索されるようになりました。
当時、日本では点字ではなく「浮き文字(立体化した漢字や仮名)」を使う試みがありましたが、視覚障害者には習得が難しく、まったく普及しませんでした。
・1880年代
・・・ルイ・ブライユが考案した6点式点字が、日本にも知られるようになりました。
ただし、アルファベット対応の点字なので、そのまま日本語には使用できませんでした。
・1887年
・・・教育者小西信八が、漢字の使い方や仮名遣い、話し言葉と書き言葉などの関連性の研究を行っていた「石川倉次」に、ブライユ点字の日本の仮名に翻案する研究を依頼しました。
ブライユの6点式点字を何とかして、日本人でも使えるようにしたかったのですね。
東京盲唖学校(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)の教師だった石川倉次が、ブライユ点字をもとに改良し、ついに日本語用の6点式点字を考案しました。
・1890年
・・・石川倉次による日本語点字が確立され、日本で初めて公式に「日本式点字(かな点字:6点式点字)」が制定され、全国に普及していきました。
・1901年
・・・日本式点字が官報に公表されました。
(ブライユ点字と石川倉次の関係)
ルイ・ブライユが発明した6点式点字が、日本の点字の基礎になっています。
しかし、ブライユの6点式点字はアルファベット対応の点字なので、日本語の特性に合わせるため、石川倉次は独自に改良を加えました。
・ブライユ点字(フランス語)
・・・アルファベットを表記するための点字です。
6点式で構成され、各文字を点の組み合わせで表現しています。
単語間にスペースを入れる方式です。
・石川倉次の日本点字(かな点字)
・・・日本語の仮名(ひらがな・カタカナ)に対応するように改良をしています。
50音(あいうえお)に基づく表記法を採用しています。
日本語の文章に適した形にするため、句読点や拗音(ゃゅょ)の表記方法も工夫されています。
このように、ブライユの6点式点字を基盤にしつつ、日本語に適した形へと発展させたのが石川倉次の功績です。
石川倉次が12点式点字ではなく6点式点字を選んだ理由は?

石川倉次は、日本語用の点字を考案する際に、当時フランスで普及していたルイ・ブライユの6点式点字を採用しました。
その際、なぜ12点式点字ではなく6点式点字を選んだのでしょうか?
それには、いくつかの理由があります。
(12点式点字の複雑さと実用性の問題)
石川倉次が点字を研究していた19世紀末、フランス軍人シャルル・バルビエが考案した12点式の「夜間文字」という触読文字が存在していました。
これは兵士が暗闇で文字を読むためのシステムでしたが、点の数が多すぎるために習得が困難であり、フランス国内でも普及しませんでした。
石川倉次も、よりシンプルで覚えやすく、実用的な6点式の方が適していると判断しました。
このことについては、ブライユも石川倉次も同じ考えですね。
(石川倉次が6点式点字を選んだ理由)
・視覚障害者の触読しやすさ
・・・点字は視覚障害者が指で触れて読むものです。
6点式点字は、1マスの点の数が少なく、指で識別しやすいという利点があります。
12点式では、1マスあたりの点の数が増え、指で触れたときに識別が難しくなります。
6点式なら、指の腹の範囲で1マスを簡単に識別できるため、読みやすさと速度が向上します。
石川倉次は、点字を実際に使う視覚障害者の利便性を考え、6点式を選んだと考えられます。
・すでにヨーロッパで6点式点字が普及していた
・・・ルイ・ブライユの6点式点字は、19世紀後半にはフランスを中心に広まり、他の国々でも採用され始めていました。
点字の国際的な統一性を考え、日本でも6点式を採用する方が合理的でした。
他国の点字書籍を翻訳しやすくするため、世界標準に合わせることも重要だったと思います。
・50音の日本語に適応しやすかった
・・・日本語は「かな文字」を主に使う言語であり、1文字ごとに1つの点字記号を割り当てる必要がありました。
6点式の点字なら、母音(あ・い・う・え・お)や子音のパターンを組み合わせるのに十分な組み合わせが可能でした。
6点式点字は、点字の組み合わせによって様々な文字や記号を表現できるため、日本語の複雑な文字体系にも柔軟に対応できます。
12点式だと、かえって表記ルールが複雑になり、日本語に適応しにくくなる恐れがあったようです。
・経済性
・・・12点式点字は、6点式点字に比べて点字版の作成に手間と費用がかかります。
石川倉次は、点字の普及を促進するためには、より経済的な6点式点字が有利であると考えました。
これらの理由から、石川倉次は6点式点字が視覚障害者にとってより有益であると判断し、日本の点字として採用しました。
石川倉次の選択は、日本の点字の発展に大きく貢献し、視覚障害者の教育や情報収集の向上に繋がりました。
まとめ
石川倉次が点字を考案したことによって、視覚障害者は文字を読み書きできるようになり、様々な知識や情報を得ることができるようになりました。
また、点字によるコミュニケーションも可能になり、視覚障害者の社会参加を促進する上で大きな役割を果たしました。